理性の本質は概念の運動にあるが、それはすぐさま自分自身と自分の対立物に分裂し、しかも、この対立がこれまたすぐさま克服される。が、自分自身と自己の対立物へと分裂していくさまが、それぞれにばらばらなものとして固定化されると、理性のとらえかたが非理性的になる。そして、対立する要素が純化されればされるほど、二つの内容のあらわれかたがどきつくなり、一方は意識にたいして存在するだけの物となり、他方は意識によって無邪気に言明されるだけの自己となる。精神が深みに至ろうとしてイメージまでしか至り得ず、そこに踏みとどまっている状態と、イメージに埋没した意識が自分のいっていることを理解出来ない状態との共存は、まさしく、高いものと低いものとの結合といってよく、自然の生物において、最高度に完成した生殖の器官と放尿の器官とが素朴に結びつくのと好対照をなす事柄といえる。無限の力を持つ無限判断が、生命の自己把握の完成に対応するとすれば、イメージに埋没する意識は、放尿の働きに対応する意識である。
– ヘーゲル「V.理性の確信と真理 『精神現象学』」 (via kashino) Via yuco.tumblr.com
16 notes
Posted on Wednesday March 9th
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この訳文の安っぽさは長谷川宏のしわざか たとえばひとむかし前の樫山欽四郎なら「イメージ」は必ず「表象」と訳すだろうし 「要素」は「契機」とするだろう 訳文の安っぽさは、理解の安っぽさだ...
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